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2016.3.14/感謝する人たち4

【感謝する人たち4】


御歳73歳の緑川 敬二郎さん。

誰よりも最高にカッコいいと思う人だ。

「ただの明日じゃない。人に会う約束がある明日だから今日も生きてるんだ。」
なんて言う人なつっこくて底抜けに明るい人だ。

家具業界で50年以上生きてきた人に対して俺ごとき小僧が大変失礼な物言いだが、彼にはこれと言って特筆する目に見える特技も華々しい実績も分かりやすい立場も無い。

職人でもなくクリエイターでもない。
あえて言うなら営業かな?
「家具業界に生きてる人」なのだ。


現在KOMAは、ありがたい事に各方面で活躍されている大先輩方に叱咤激励とともに可愛がってもらっている。

彼らはそれぞれに才能豊かでいつも多くの刺激を頂くと同時に様々な機会を与えてくれる。
尊敬もしている。

でも、その誰よりも俺にとって最高にイカしてるのが緑川さんだ。



日田工芸の勢い余った若い衆という感じで、俺の事は修業時代から知っていると言っていたのを覚えているが、正直に言うと緑川さんとの出会いの瞬間や切っ掛けは覚えていない。


気が付けばいつの間にか何となく側にいてくれた。

そして今は本当に感謝している人だ。

分かりやすい特技や華々しい実績もない。

だから俺みたいな阿呆は中々そのありがたさに気が付かなかった。




2007年。
俺が29歳の頃。

2003年に開業したKOMAは多くの人に助けてもらいながら建設業者やリフォーム業者、店舗内装業者の下請けをしながらどうにかこうにか生き残っていた。

その頃は店舗什器や新築の壁面収納家具工事など造作家具も多く造っていた。

まあ、今だから言うとまあまあ儲かっていた。

下請けというのは元請けに対するほんの少しの営業以外は製作だけに集中できるので、ある程度の固定客が開拓できていれば余計な経費は掛からない。

エンドユーザーに対するアプローチは宣伝広告費、ショールームの維持費、広報、販売、企画、営業などの様々な人件費を抱えながら元請けがやってくれている。

それなりに技術もあったし規模も3人。
自分たちの食い扶持くらいの仕事量は人の協力もあってすぐに確保できた。

自分たちにしか出来ない仕事からやっていって、残った簡単な仕事は職人仲間に発注する。
要するにカタチの上では仲間に孫請けさんになってもらう。
職人同士だから阿吽の呼吸で、製作に関わる打ち合わせなどが必要ない。

だから、製作図面をFAXしておしまいだ。
右から左で10%〜30%の利益。

こんなウマい話はない。


そうだ。
本当にウマい話なんて無いのだ。

当然しっぺ返しを喰らう。


またドン底に落ちる。


今思えば、この頃は墜落寸前から人並みにメシが食える様になれた事がただ嬉しかったのだ。
でも、なんだか地に脚がついていなかった様に思う。



KOMAのような小さな製造業にとって世間の景気動向などはほとんど関係ない。

リーマンショックや構造計算書偽造問題などで業界の仕事は減っていたようだが事件当時は全く関係なかった。

取引先の建築業者などが体力の尽きた順に次々と倒産し始めた2008年あたりからなんとなく意識するようになった。


ある日突然、取引先と連絡がつかなくなる。
気付いた時にはもう遅い。

そして後日、弁護士からの倒産の通知が送られてくる。

当然、金は支払われない。

不良債権だ。

100万の取引先もあれば300万なんていう取引先もいた。

合計で2000万円近くヤラれた。

もらえないけど、こっちは支払いがある。

ヤッちまった。。。



入金がゼロで支払いは600万なんていう月もあった。

月末の支払いを考えると柄にもなく眠れなかった。

夜中に一人、缶コーヒー片手に川沿いのベンチで貧乏揺すりをしながら過ごした。

つい先週までニコニコ話をしていた取引先の社長や担当者たちの顔が浮かんだ。

「畜生クソッタレ」を何千回も唱えた。

それにしても9月の雑草に覆われた川沿いで夜中、一度も蚊に刺されなかった。
蚊にとっても血が毒に感じる程、ものスゴい負のオーラを発していたんだろうと思う。


とにかく払う。

出来なきゃおしまい。

一ヶ月でどうにかするしかねえ。



これだけ決めて朝を迎えた。


助けてくれたのはやっぱり仲間たちだった。


ATOMリビンテックの上田さんをはじめ、事情を聞いてくれた仲間たちが在庫の家具を現金で買ってくれた。

支払いに追われる月は続いたが、どうにか首の皮が繋がった。

本当にありがたい。
やっぱりどこにも足を向けて眠れないから立って寝るしかない。


当然、貯金はゼロになって振り出しに戻ったが大きな経験ができた。

仲間のありがたさを知った。

オイシイ話は続かないってことも。笑



思えば、そんな仲間たちとの最初の出会いの切っ掛けをつくってくれたのが緑川さんだった。



ただ、事態は終わらない。

元請けが倒産したと同時に多くの下請けたちも潰れた。

しかし、孫請けとして発信や集客、営業などに余計な経費を掛けず、地道にコツコツ製作に集中してきた人達の多くが生き残った。

それが意味するものは相場価格の値崩れだ。
孫請けさんたちの価格が表に出てくる。

依然として少ない仕事量に対する価格競争が始まる。


とてもじゃないけど太刀打ちできない。



2009年

独自路線を目指すしかない。

俺らだけの強みを活かそう。

無垢の家具で勝負しよう。

俺らにしか出来ない仕事をしよう。

KOMAオリジナル家具をエンドユーザーに直接アプローチしよう。

その為には会社として足りない機能が多くある。
会社規模も3人じゃ足りない。

すぐに切り替えられる訳ではないが、今のままじゃ潰れる。

時間がない。


家具は造れるけど売り方が解らない。
見て知ってもらえる機会と場所がない。
そして経費や時間、労力にも限りがある。

最低限の商品や在庫は用意できて少しずつは進んでいたが、コレといった機会のないまま1年半が過ぎた。

焦っていた。

そんな時2011年4月。
当時疎遠になっていた伊勢丹との関係を繋いでくれたのも緑川さんだった。


新宿伊勢丹リビングフロアのメインステージ45平米のスペースで「KOMA家具展」を2週間。
最高の環境だった。

震災3,11の直後ということもあり売上目標の300万も売れるだろうか?と心配だった。

結果は450万。

俺たちだってヤレるじゃん!!

ただただ嬉しかった。



その後、各業界の大先輩方から多くの刺激と共に多様な機会を与えてもらえるようになった。


それらのプロジェクトでの実績がまた次の仕事を呼んでくれた。


そんな尊敬する彼らとの最初の切っ掛けを生んでくれたのもやはり緑川さんだった。



人や機会を紹介する場合。
あたりまえだが普通は「紹介してあげる」という立ち位置だろう。

緑川さんは違う。

「松岡〜めんどくせえかもしれねえけど、俺を助けると思って来てくれよ〜オマエしかいないんだよ〜」だ。

いつもこう言って人や機会を繋いでくれていた。

そしてウマくいったら「さすが松岡〜!頼んでよかった〜!」だ。


恩を着せるなんて一切ない。


「俺なんかさ、な〜んにも無えけどさ、こんな俺でもさ、俺にしか出来ない事があるんだよ。」

そう言う緑川さんは自分の「分」の中で清々しく生きている人の代表格だ。

際立った特技や才能など関係ない。
彼の心に比べればどれも陳腐なもんだ。


そんな緑川さんが言うのだ。
「あと10年現役でいたいんだ。だってまだまだ自分自身に納得いってねえんだよ」

カッコ良すぎるぜ!
イカしてる!


そんな緑川さんはちょくちょくKOMAの工房に顔を出してくれる。
たまに飲みに行ったりもする。

色々なアドバイスをくれるが、俺は聞かない。

「うるせえな〜俺にクチ出しすんじゃねえよ〜笑」なんて生意気を言うと
「ハハハ〜それが正解!お前の好きにヤルのが業界の未来だ!」な〜んて言ってくれる。

でも彼が言ってくれた事は全部覚えている。

亀井とギクシャクしてる時。
「お前は幸せだな〜文句が言いあえる仲間がいるんだもんな〜」

若い衆に腹を立てている時。
「同じ事を何度も言えばイイじゃないの〜それがお前の勉強になるんだからさ〜」

そして

「今日も松岡に会えて良かった。良い話が聞けた。勉強になった〜」

なんて彼の倅よりも年下の俺に言って帰っていくのだ。


彼が繋いでくれているバトンを俺が次に繋ぐ為に、
俺はもっと良い家具をつくろうと思う。

2016.2.6 / 松岡家の子供達

【松岡家の子供達】


2000年 修行開始に産まれた長女。
2003年 独立の時に産まれた長男。
2009年 自社製品展開の時に次女。

新たな挑戦の時、踏ん張りどころの度に産まれてきてくれた子供達。
おかげさんで逃げないでいられた。
やせ我慢ができた。
ヤルしかねえって思えた。



思えば親父らしい事など何もしていない。
母子家庭のような状態だ。

俺が親父として彼らに出来る事は、ただ愛おしく思うことだけだ。

俺は俺でいっぱいいっぱいだ。

教えたい事なんて特に無いけど、ただ見て伝わってほしいと思う。


彼らに伝えたいのは、平等なんてものは無いってこと。
容姿、能力、性格、環境、生まれながらにどこにも平等は無い。

1日24時間。1年365日。
この時間てやつですら平等ではない。
与えられた時間と自ら選択し活動できる時間とでは全くの別ものだ。


いつも当たりまえに不平等で理不尽だ。
だからこそ人間は自由だということ。


何一つ嘆く事なんて無い。


夢や目標なんかに縛られないでほしい。
そんな小さなことの為に自由を失ってはいけない。

もっともっと大きな流れに沿って生きてほしい。

大きな見方をすれば、自分の根本は変えられない。
自分が出来る事や能力なんてそう多くはないし増える事もない。

与えられた自分の「分」なんてものは既に決まっていてこの先も動かしようが無い。

だから、どう足掻いても大きく未来は変えられない。
もう既に決まっているストーリーの中で生きていると思う。

全ての事はもう全部決まっている事なんだと思っている。

あくまで自分の「分」の中でしか生きられない。
分相応ってやつだ。

それに抗うと進めなくなる。
夢や目標がスムーズな流れの邪魔をする。

求めた自由は遠ざかる。

そんな事より今この瞬間を受け入れて大きな流れに身を任せること。
自分の出来る事、人から求めてもらえる事をただいつも一生懸命やり続ければいい。

そうやって自分と社会が繋がっていく。

それが自由に繋がっている。


だから見えない未来を怖がる必要は無い。

必ず繋がっていくからだ。


んで、いつか自分の生きる場所が見つかると良いなと思う。

水なのか大地なのか、それとも空か。

水なら海なのか川なのか湖か。
もしかしたら池や沼かもしれない。

憧れや理想なんかじゃなくて、本当に自分にとって心地の良いところ。

沼より大海の方がイカしてるように感じるかもしれない。
でもダメだ。
沼の生物は海では生きられない。逆も同じ。

自分は自分なのだ。

理想とは違うかもしれないけど、それを受け入れられた時に自由は無限に広がる。


自由とは社会と繋がれたことで、たった今この瞬間に無限に広がった選択肢。
自由を与えてくれるのは自らの分を全うする社会に対する責任だ。


職種の話じゃない。
もちろん立場やお金の話でもない。

心の在るべき場所の話だ。

もっと生意気を言えば魂の拠り所だ。

いつか、これの為に生きてきたんだと思える時が来る。

そうやってきっと天命ってのに出会えるんだとと思う。



とは言えこの親父もまだまだもがいている。

せっかく乗っかれた心地良い大きな流れについ抗って見失ってしまう。

まだ自分てもんが理解できていない。
納得しきれていない。

自分の小さな夢や目標に縛られてしまう。

でも、それでいいんだと思っている。

一生こんな感じかもな。とも思っている。


自己採点ようやく20点の俺が今思えることだ。

この境地に辿り着けた訳ではない。

何となくそう思い始めたということだ。



最近、中三の長女に言われた。

「お父ちゃんがお父ちゃんで良かった」
「あたりめえじゃん。自信あるぜ〜笑」と答えた。

俺は彼らに本当に感謝している。

カッコつけるためにやせ我慢ができた。
お陰でどうにかこうにか格好がついている。

2016.2.6 / 小佐野 玲

【小佐野 玲】


レイちゃんとよんでいる。

昨年10月に入社した新人だ。

年下の大先輩であるマイちゃんから毎日シゴかれている。

「遅えよ!ヤル気あんのか?本気出せよ!」などと25歳の男子が23歳の女子に言われているのを聞いていてつい下を向いてニンマリしてしまう。

実力至上主義において誰もが通る道で、俺にとっても懐かしく感じるからだ。


俺にも年下の先輩がいた。
現在は彼も家具工房を営んでいて今でも関係が続いている。


2年先輩で1つ年下だった。
最初、実力差は雲泥で相手にもしてもらえなかった。

新人の仕事は誰でも出来る単純作業の繰り返しが主となる。
普通に考えたら面白いワケが無いが、それをどのような意識を持って臨むかで過ごす期間と得る実力は全く違ったモノになる。

楽しみとヤリがいをどのように見出すかだ。

時間は解決してくれない。
10年やっても変わらない人もいる。

簡単なのは自分とのスピード競争だ。
全ての作業にタイムを設ける。
その基準は一回前の自分だ。

必ず超える!その為に本気でヤル。
単純に身体の動きの早さや慣れでは、いづれ頭打ちする。
そこからが勝負だ。
根本的な作業のやり方を工夫する。

日々の単純作業の中で1日何百セットと繰り返す。

その単純作業は反復練習として身体の奥まで染み込んで、その先の仕事のベースを創る。

そうやってこの期間を1年で終えた。
気が付けば単純作業では誰よりも早くなっていた。


そこから、彼とのライバル関係が始まった様に思う。

お互い少しタイプが違っていて、どちらかというと俺は段取りや効率を突き詰める方で、彼はとにかくパワープレイのスピードキングだった。

彼がノッてくるとビシビシと熱気が伝わってくるような凄みがあった。

お互い工場の中を移動する時はいつも走っていた。冬でも汗だくだった。

怪我がつきものの仕事だ。
お互いに当然経験がある。
「ヘッ!なに怪我なんかしちゃってんの?迷惑なんだけど〜」といった具合で心配し合うなんて一切なかったが、もっと深い所で繋がっていたように思う。

家具職人という世界を昇って行くんだっていう志で繋がっていた様に思う。



先日、久しぶりに彼と一杯やった。

そんな思い出話やこれからの事なんかを話して酔いがまわった頃。

「俺、今でもお前に負けてねえって思ってるから!」と突然に彼。
「俺だって負けてねえよ!そういやテメエは元先輩だったっけか?」と俺。

「先輩に元とかねえんだよ!先輩は先輩だろ!」
「独立したのは俺の方が先だろうが!今は俺の方が先輩なんだよ!」

などと取り留めの無いやり取りを笑いながら出来るのは、家具職人という同じ仕事をお互いずっと本気でやってきた事を知っているからだ。

同年代が同時期に同じ志しを持って同じ場所で切磋琢磨できるその出会いそのものが掛け替えが無い。

仲良しこよしではない。
認め合える仲間なのだ。

お互い具体的に何か助け合う訳ではないが、今でも踏ん張りながら本気で続けているってコトそのものがいつも支えになるのだ。

すっかり話がそれたが、レイちゃんとはまだ関係が短く、書く内容も無いってのが正直なところだ。

いつもおっとりしているが、鋭い一面もあって面白いキャラクターだ。
話すスピードもゆっくりだが、じっくり考えていることがその内容から伝わってくる。
大学の建築科を出ていて図面作成のスキルも備わっている。

楽しそうに話すレイちゃんの話はどれも聞いているコッチまで楽しくしてくれる。

そして、ダメな原因を外ではなく自分に向けられる人である。
中々これが難しいが自然と出来る人であるから成長も早いだろうと思う。



何かの縁があって今こうしてKOMAに集まった若い衆達も切磋琢磨して認め合える仲間になっていけるだろうと思う。

皆、それぞれ本気でやっているからね。



俺にとっても一緒にいてくれる若い衆達は掛け替えのない存在だ。

全面的に信頼して安心して付き合えるパートナーであり、仲間であり、子供でもある。

ありがたいと心から思える人たちに囲まれている。


そして、松岡家には3人の実の子供達がいる。

2016.1.13 / 佐藤 竜

【佐藤 竜】


リュウタンとよんでいる。


まだ19歳の少年だ。

ついこの前まで高校生でキックボクサーだった。

ここのところ急成長中で、日本一働く少年だと思う。


KOMAの面接は書類選考を通過した人だけで行われる。
ありがたい事に募集枠に対して多くの応募がある。

時には数人同時の面接だったりもする。

しかも、面接に来る人には伝えていないから、その場で鉢合わせて皆驚く。

短時間で見抜こうと思うとこの方がかえって都合が良い様に思う。
互いが意識し合って、引き出される部分と消されてしまう部分が人それぞれに見えるからだ。


リュウタンの時も例に漏れず3人同時面接だった。

一人は木工経験者。
一人は美大卒でPC作業やデザインができる。
両者とも書類選考時の作品ファイルなどのクオリティーも高かった。

そして、リュウタンは工業高校卒業見込み。

まず、彼を呼んだ理由は作品ファイルがカワイかった。
格好付けて体裁を整えるだけのスキルが無いということもあるだろうが、一生懸命でウソが無い感じがした。

だから俺がどうしてもコイツ呼びたい。話してみたいと言った。

ただ、社内の前評判では他2人のどちらかでほとんど決まっていた。


面接で見るポイントは、どのくらい本気か?根性あるか?正直か?

この3点である。

はっきり言ってスキルなどはコレらの次だ。

ほとんどの場合、経験者と言え素人とそんなに変わらない。
よほどじゃなければ通用しない。
よほどのヤツなんてほとんどいない。

ある程度の技術は時間が解決してくれる。
だから、きちんと取り組む本気さと続けていける根性が大切だ。

そして、何より大切なのが正直さだ。

どんなに技術があったとしても誤摩化すヤツに仕事は任せられない。

100回の仕事の中で50回失敗しても全部正直に言って50回怒られれば良い。
ケツを拭くのも上司の仕事だ。
どんな失敗でも分かりさえすれば対処の仕方はあるし改善もできるから次に繋げられる。
だから、もう一度任せる事が出来る。

100回の中で1回の失敗でも隠すヤツはダメだ。
なんのフォローも出来ない。
大きな失敗に繋がる可能性がある。
その場合は会社のダメージもデカイ。
信頼が出来ないからもう二度と仕事を任せる事は出来ない。

だからクビだ。


若いうちは怒られるのが仕事だ。
失敗の責任が取れないんだから怒られる以外にない。

ただ瞬間的に怒られるだでイイなんて、これほど楽な事はない。
そんな責任すら逃げるヤツなんかにどうせ将来は無いから育てる価値も無い。



その点で彼は、ただただ正直な感じがした。
言い方を変えれば、育て甲斐があると思えた。



だからこの面接の人選に関しては俺がワガママを言った。

どうしてもコイツがイイ!と。


他の2人も良かったが、俺にはダントツでリュウタンが光って見えた。


あれからもう少しで一年。

俺の目に狂いは無かったと思う。
彼を選んで良かった。


最初の一年は本人次第だ。
失敗の繰り返しで自分の存在価値も見失う。
こちらは何も出来ない。
一定のラインを超えるまではチャンスも環境を与える事が出来ないからだ。

耐えてくれよ〜と思いながらただただ見守るしか無い。


よく踏ん張れていると思う。

そして最近、急に伸びてきた。
仕事も覚え、責任感も出てきた。

かなり早い方だと思う。


しかもまだ19になったばかりの少年だ。

俺が19の頃は実家を追い出され、頑張る事も知らず目標も何も無くプー太郎で一人暮らしをしていた。

あの頃の俺は今のリュウタンに口もきいてもらえないと思う。

履物はビーチサンダルしか無かった時期もある。

二百円のアルバイト情報誌が買えなくて、コンビニで電話番号を暗記して公衆電話で面接のアポとり。

電気もガスも水道も止められて部屋の中でも息は白く、公園と部屋を往復して風呂に水を溜める。
その水は貴重だった。
身体を流し、洗濯をし、最後はトイレのタンクに。

しまいには、その土地の暴走族に部屋まで乗り込まれたりもして散々だった。

ため息しか出ない毎日。



それに比べて目標に向かって仲間と共に一生懸命なリュウタンとのあまりの差にビックリする。

当時の俺には逆立ちしても絶対に出来ない事だった。

仕事に失敗して落ち込む彼を見ていて「スゲエな〜」と思う。
だって頑張ってなければ落ち込む事はないもんね。


10年後のリュウタンはどうなっているだろうか?
間違いなくKOMAの看板の一人になってくれているだろう。


そして、彼にも年上の後輩ができた。

2016.1.13 / 平塚 剛史

【平塚 剛史】



センセイとよんでいる。


大学の建築科を出ていて建築士、木工技能士などの資格を持っているからだ。

だからCAD図面など朝飯前だ。

建築の現場監督や家具職人など社会人経験も豊富だ。

宮崎県出身の30歳。

姉妹に挟まれた長男で幼少期に角という角、牙という牙を全て削られたと本人は言うが、負けず嫌いで意地も根性もしっかりある。

プライドばかりが高いヤツっていうのは箸にも棒にも引っかからないが、無いなら無いでそれに伴って意地も根性も無い人っていうのも多い。

センセイの場合は下らねえプライドだけが丁度良く削られたのだと思う。



2014年の12月に面接にやってきたが、俺はすっかり忘れていて、とある忘年会の予定を入れてしまっていた。


急遽、忘年会が面接の場となった。


40名ほど集まる賑やかな忘年会で、ミス日本橋など奇麗どころの集うテーブルにセンセイを座らせた。

「あとよろしくね〜」

放ったらかして俺はさっさと他のテーブルへ。


数時間後

「ゼッタイ採用〜」と彼女達。

「OK!んじゃ採用で!」

コレで決まった。


いいかげんに思われるだろうが、結果的にコレが実に良い面接となった。

知らない人たちとの初めての席での社会順応性。

長いものには巻かれろ。
郷に入っては郷に従え。

社会人はまずコレであると思う。

そんな事も出来ないヤツにちゃんとトンがることなんて出来ない。
だってそのための素養は自らが構成した環境と人が与えてくれるからだ。

カタ破りっていうのはカタがあってこそ。
カタが無いのをカタ無しって言う。

トンがるっていうのは、ココだけは!って一点に関してだけで良い。
言い方を変えれば、その一点を持ってる人の方が少ないからそうならなくていい人がほとんど。

だからその一点を見つけるまでは巻かれて従いながら順応するのが正解。

何も無いのにトンがってるとハリネズミの様な状態になるが、品格に欠けてみっともない。
まあ少し前の俺の事だが。。。笑



話がそれたが、とにかくセンセイはあらゆる面でKOMAにとって必要な人材だ。

まずは元々持っている図面作成や構造把握などのスキル。
これにより俺や亀井が多くの業務から解放されて新たな挑戦に向かえる。

明るく温和な性格は全体に良いムードメーカーになってくれる。

彼の社会人経験は会社としてまだまだ未熟なKOMAに多くの改善をもたらしてくれる。

そして、まともな社会人経験を持つ者がいないKOMAメンバーに社会人として当たりまえの事をきちんと体現してくれる。



先日、自分が体調を崩した時に思った。

人間いつどうなるか分からない。

医者にどうしたの?ボロボロだよ?って言われた。
健康、頑丈だけが取り柄に思っていたからビックリした。

今日の帰りに事故に遭うかもしれないし、大きな病を煩うかもしれない。

そんな事を考えて生活していてもしょうがないが、可能性としてはゼロじゃない。
そして、何が起っても生活をしていかなければならない。

でも、俺は不安じゃない。

俺に何があっても支えてくれるだろうと思えるし、俺も支えたいと思える仲間がいてくれるからだ。


仲間さえいれば大丈夫だ。
何とかなる。
何とかしてくれる。

何よりも掛け替えのないものは仲間なのだ。


俺たちは社会で生き残るために集まった一つの群れであると思う。
開業から1年で50%の会社が潰れる。
10年残るのは5%と言われている。
熾烈な生存競争の中で生き残るために、群れを中心に互いが役割を全うし仲間を支える為に責任を果たす。
コレが仲間だ。


まだ一年の付き合いだが、センセイも全面的に信頼のおける掛け替えのない仲間である。

彼とのストーリーはまだまだこれから創られていくのだ。


そんな彼になついて「平塚さんと一緒に住みたい」なんて言ってるヤツがいる。

19歳になったばかりの佐藤竜だ。


2016.1.3 / あけまして

自分で才能ってもんが無いなあと実感することが多い。
特にセンスってことに関していうと皆無だ。
だからプロ、アマに関わらず誰かが作ったモノや撮った写真、描いた絵などを見て「スゲエな〜真似できねえな〜」と影響を受ける事ばかりである。

でも家具づくりが好きだ。
最近はまた、本当にそう思えるようになってきた。
残念ながら純粋にそう思えない時期も長くあった様に思う。


お正月は俺も大義名分でお休みだ。
ただ、一番やりたい事がたまたま家具づくりだから好きで勝手にやっているだけで、あくまでお休みだ。
だから自分的に失敗しても段取りが狂っても何でも許せるお気楽な数日だ。
プロとしてでなく純粋に好きだから作業ができる大好きな数日だ。

才能もセンスも無えのに、気合いと根性だけでプロでいるってことはとっても大変なのだ。笑



昨年は仲間達や先輩達に多くの機会と環境を与えてもらえたおかげで、自分にとって気付きの多い一年だった。



つい先日の年の瀬にフッと何かが抜ける感じがして「オレはロクでもねえボケだな〜」とガッカリした。

一番になりてえとか、勝ったとか負けたとか。

今まで頑張る目的の最上位にあったものがどうでもよくなった。


「最高の家具を創って、最高に喜んでもらって、最高にカッコ良くある。」

KOMAの理念だ。


最高の家具が創りたかったら、それと相等の知って、見て、買ってもらえる環境が創れなければただの自己満足でしかない。

歴史の無い俺たちにとって実績が一つの裏付けとなり環境を得る。
その為には職人としてプロジェクトに選抜してもらえるかどうか。
作品がプランに選考されるかどうか。
などなど、実績を積む為にはライバル達と比べられる機会も多いのは事実だし、その結果が次の環境を創るのも事実だ。


だから、KOMAの理念を叶えるために最高の環境を得るまで勝ち続けて一番になる事が頑張る目的になった。


理念を叶えることが目的?
逆じゃない?

理念は活動の根幹だろ?

理念を持って何をするのかじゃないの?


俺たちの理念は、関わってくれるみんなと一緒に喜びを得るためにあるのだ。
それが頑張る目的だ。

その為には得なきゃならない環境もあるし、勝たなきゃいけない時もあるってだけだ。


まさに本末転倒だった。

こだわるべき結果は、勝ち負けじゃない。
みんなと一緒に楽しめてるかどうかだ。
勝ち負けは、楽しむ為の過程の一つだ。


当たりまえのことに気が付くのに時間がかかった。

毎度のことに自分で嫌になる。

でも気付けて良かった。




あとは単純に、若者よ大志を抱け。
で、修行スタートに俺はまず日本一の家具職人になる事を抱いた。
数年前から、んなもん無いんじゃない?と薄々気付いていてが、

若い自分が抱いた大志を簡単には裏切れないとの気持ちも勝ち負けにこだわる理由の一つだと思う。


2015年は本当にありがたい環境に恵まれた。
関わって下さった方々の御厚意で沢山の機会を与えてもらった。

経済産業省wonder500選抜。
paris design week選抜。
ミラノ万博ジャパンサローネ展示。
林野庁wood design award 奨励賞。
林野庁wood furniture award japan選出。paris展示。
百貨店でも色々な事に参加させてもらった。
若い衆と一緒にTVで特集もしてもらった。

本当にありがたい。



それで、年の瀬にふと思った。

環境や機会を得ることを結果とするなら、今はオレが日本一の家具職人か?と。

修業時代にたてた目標はこれのコトか?と。

イヤ。これでイイじゃん!と。

俺より巧い家具職人なんて俺が知らねえだけでいくらでもいると思うし、売上が高い会社もいくらでもある。

評価には色んな尺度や角度があるから、こんな事を言うと「ナニ言ってんだテメエ!」と彼方此方から叱咤の声が聞こえてきそうだが関係ねえ。

機会に選択してもらえたって事に関して焦点を合わせれば、企業も個人も含めて紛れもなく俺とKOMAが一番だ。

だからもうコレでイイじゃん。

べつに俺の実力じゃない。
仲間達や先輩方に、ただ時間と機会を与えてもらえただけだ。

でも納得してくれ。若かりし俺。


家具のジャンルも加工技術も得意分野は人それぞれだし、自分一人で得られるものなんて何も無い。
だから一番なんてそのものが存在しない。

勝手に俺がこしらえた幻だ。

ただただ、ありがたいだけじゃん。。

それに自己採点15点の俺ごときが得られる結果だ。


だからもうコレで勘弁してくれ修業時代の俺。
コレで約束を果たした事にしてくれ〜





だけど一つ。

おかげさまでスゲエ自信がついた。

才能もセンスも無いけどゼッテエ負けねえっていう執着と根性だけでも何とかなる。
認めてもらえる。って思えた。

それもこれも関わってくれる人たちのおかげだ。

そしてあらためて思う。

己を囲む人こそが己の価値そのもの。

俺も周りの人にとっての価値になれたら何より嬉しいと思う。


でもやっぱり負けるのは大嫌いだ。


自分が命を懸けて頑張ってるんだったら世界中の誰にも負けたくねえと思うのは本能として当たりまえだ。

ただ、勝つことが目的じゃない。
その先の本当に大切な目的が見えたってだけのほんの小さなこの一歩が大きな一歩だ。

勝負のためのモノづくりじゃなくなるってことがこの先の家具づくりに必ず良い影響がある。

ガキの頃から放っておけば一日中、何かを作ったり描いたりしていた。

ずっとモノづくりが大好きだったからこの職業に就いた。

窓から差し込む光を背中に作業をする親方衆が眩しかった。
彼らが逆光の中、技を振るって木屑が舞う様にシビレた。
いつか俺もあそこに!純粋に憧れた。

また思い出した。

遠回りしたなぁとも思うが、今はあの頃よりもっと深いところで好きになれた気がする。

だから15年で15点の自己採点はイッキに20点にしてあげようと思うのだ。

ここが本当のスタート地点だ。
やっと辿り着いた。

もう競わなくてイイ。


俺はこんな親方だ。
若い衆には迷惑をかける。
気付きの大きな要因として若い衆の影響もデカイと思っている。
そう思える立役者の一人が平塚剛史だ。

2015.12.31 / 亀井 敏裕

【亀井 敏裕】

亀とよんでいる。

親友、戦友、同士、相棒。なにかなあ?と考える。


1998年。
出会いは美術の専門学校。
最初の会話は「このクラスかわいい子いねえな〜」だった。

卒業後、俺は家具職人の修行に入り、亀井は独学で彫金の道に進んだ。

ちょくちょくやり取りする仲が続いた。


2003年。
独立を考えて亀井に声を掛けた。
お互い個人事業主で工房をシェアしないか?という誘いだ。

何も知らない俺たちは今思えばどーでもイイが、見よう見まねで事業計画などを書いて準備した。
それはそれで何か人生が進んでいる感じがして楽しかった。

独立はアマくなかった。
最初に持ち寄った300万はすぐに底をついた。

亀井は彼女との間に子供がデキて結婚し横浜から通うことになった。
俺には2人目の子供がデキた。


無計画ここに極まり。


仕事が無い。
とにかく単価を下げて仕事にありつく。

それでも、同業者からの下請けはしないと決めていた。

やってもやっても金にならない。
それでも徹夜でやらなきゃ終わらない。

工房に行くガソリン代が無い日もあった。
もらい物の汚ねえ1BOXの荷台で梱包用のホコリまみれの毛布にくるまって寝た。

食べようかどうしようかと迷いに迷い2人でラーメンを食べた事を覚えている。

あの一杯が今までのどのラーメンよりも一番美味かったな〜と今でも話題に挙るほど身体に染み渡った。



半年あたりから亀井は体調を崩した。

そして一年が経った頃、横浜から車で出勤中に事故を起こした。
居眠り運転だった。
搬送された病院に向かう途中、クシャクシャのボールの様に丸くなった亀井の車を見た。


大きな怪我はなかったが、亀井の心は折れた。


「もう続けられない」

共同でシェアするはずが身勝手すぎるだろう?
なに折れてんだよ?

喧嘩になった。

30段くらいはあるだろうか?立川駅の階段のてっぺんから蹴り落とした。

人だかりができた。
救急車が来た。

それで解散だ。


俺は一人でKOMAをつづけた。


一人になった分、家賃や光熱費の負担などで余計に苦しくなった。

俺ももうダメかな?と思っていた。


前にも書いたので割愛するが、多くの人に恵まれて首の皮一枚で浮上が始まる。


あれからずっと亀の事が頭を巡っていた。

言葉にすると陳腐になるが「夢半ば」だった。

勝手に亀の復帰を目指し仕事をする様になる。
担当してもらう仕事を想像して亀の分の仕事量の確保を目指した。

その頃、亀は八王子で家具職人としての修行を初めていていた。


解散から一年、亀を誘って酒を飲む。
「もう一回一緒にやらねえか?」を言いたかった。
「絶対にやらねえ」の返事は予想どおりだった。

半年間、言い続けた。

奥さんを説得して戻ってきてくれた。


俺がアタマで亀はNO2。
共同経営じゃない。
責任は俺が持つ。

まず一年で1000万の現金をつくる。
工房の引っ越し、機械の入れ替え、従業員の雇用を最初の目標に走り出した。

2007年。
二人三脚がはじまった。


現在に至るまでは、この場だけでは書ききれないので割愛するが目紛しい日々だった。

苦しくもあったが楽しかった。




しかしこの3年は俺と亀の間にミゾがうまれた。


ありがたい事だが、外からの評価が一人歩きしていった。
毎月の雑誌の取材。TVで特集。世に出る機会も増えていった。

実際の実力よりも高い評価を受けている様な気がした。

怖くなった。

KOMAのメッキが剥がれる前に追いつかねえと。と錯覚した。

俺がやらねえと。

止まれねえ。

あの頃には戻りたくねえの一心だった。


俺は勝ち進む事に執着した。
歴史の無い俺たちにとって勝ちを得ることだけが生き残る道だと思った。

いつのまにか一人で戦うようになった。

外ばかり見て会社の中は一切見る事がなくなった。

人数も、機械設備も、俺たちの実力も、会社の中身は何も変わってないのに、対外的な評価に追いつく為にやらなきゃいけない事だけが大きく増えた。

小さな会社は全ての業務を自分たちが担わなければならない。
会社と社会の状況で自分たちが求められる役割は目紛しく変わる。
会社にとって足りないスキルは自分が身につければならない。

役割分担はただのなすり合いになった。
頼り合うのではなく丸投げしあった。
身のあるコミュニケーションは減り、何かを一緒に考え行動する事が無くなった。


いつの間にか俺と亀の二人三脚はバラバラになっていた。

俺の焦りは亀に実力以上を求めるようになった。

俺が荒れる事も多くなった。
亀のヤル気は少なくなった。

上手くいかない事は互いに互いのせいにした。


KOMAの成長に自分たちがついていけていなかった。


とは言え、全てが悪かった訳じゃない。

俺も悪かったし亀も悪かった。
亀は悪くねえし俺も悪くねえ。
といったところだ。

もちろん反省すべき点は多々ある。
反省があれば次に繋がる。

現に今、こうしてKOMAは存在する。
10年生き残る会社は3%と言われる中でちゃんと存在しているのだ。

遠回りしたんじゃない。
KOMAを生き残らせる為にお互いに必死でやってきた結果、生き残っているという事実がある。

言い訳ではなく、ああなる他に無かったように思う。
維持継続の為に経なければならない時間だったように思う。


弱さを経験していない強さは無いのだ。

強くなる為に気付けた弱さだ。

今、KOMAは本当に強くなろうとしている。


もう、今のKOMAが求めている事は俺と亀だけでは全然足りなくなっちまったって事に気付けた。
だからこそ役割があるのだ。

若い衆が定着し大きく成長してくれたおかげで気付きが得れた。
あの頃の二人三脚を今のKOMAでやれるようになってきた。

そして、今は二人じゃない。

全員で肩を組んで一歩ずつ進むのだ。




俺にとって亀井は、自分を映す鏡だ。

親友、戦友、同士、相棒でもあるが、それらを超えた存在でもある。


年の瀬に気付けて良かった。

本当に新年が楽しみに迎えられるのは何年ぶりか。
もちろん不安も多くあるけどね。

とにかく、いろんな事と仲間達がありがてえ。


よいお年を〜

2015.12.28 / 海老沢 俊

【海老沢 俊】

エビちゃんとよんでいる。

俺が昔、人を困らせたり迷惑を掛けたりしたオトシマエとして、
俺の誕生日に合わせて神様か仏様が送り込んだのだと思っている。笑

人の言う事は全く聞かない。
我が道をただひたすら突き進んだかと思えば自分の都合で立ち止まったりする。
社会不適合者だが、突き抜け過ぎていて善し悪しを超越している。
本人に自覚が無い所が本物の証だと思う。



2009年7月
西新宿にあるデザインセンターOZONEで展覧会をしていた。
俺は接客の様なことが相変わらず苦手で、会場の入り口に設置されている受付カウンターの中に脚を組んで座り、眉間にしわを寄せて本を読んでいる。
だから誰も話しかけてこない。
全く役割を果たしていないがそれでいいのだ。
出来ないことは出来ないのだ。

そんな時。

「あの〜すみません。。。」
蚊の鳴くような声のお手本だ。

目を上げると色白でポチャポチャしたお餅みたいな顔に昔の数学教師みたいな眼鏡をかけた少年が立っていた。
微妙にサイズが合っていないヨレたTシャツにジーパン。
大きなリュックを背負っている。

「なに?」
「募集要項を見て。。。」

「募集なんかしてねえよ。」
また活字に目を落とす。

「あの〜すみません。。。」
「なんだよ。」

手に握られたクシャクシャの紙を見せてくる。
数年前に木工職業訓練校にFAXした募集要項だ。

「いつのだよ?今はしてねえよ。」
また目を落とす。

「あの〜すみません。。。」
「なんだよ!!!」

「どうしてもダメですか?」
「まともに声も出せねえヤツに勤まる仕事じゃねえんだよ。だいたいオマエまだガキだろ!?」
「28歳です。」
「28?!イイ歳じゃねえか!15くらいに思ったよ。よけいダメ。帰れ。」
またまた目を落とす。

一分経過。

「あの〜すみません。。。」
「なんなんだよっ!?」

「工場見学だけでもダメですか?」



数日後、あの時と全く同じ格好でやって来た。


「まあ。せっかく来たし手伝ってみる?」
「ハイ!」

この日は7月7日。
俺の誕生日だった。


「明日も来る?」
「ハイ!」

「明日も来る?」
「ハイ!」

で一週間が経った。

「ところでオマエの名前は?」
「エビサワです。海老沢 俊です。」

「とりあえず履歴書持って来な。」
「ハイ!」


これが始まりだ。




どんな生活をおくってきたのか、とにかく何も知らないし何も出来ない。
新宿区、渋谷区が東京都であることも、ビートたけし、ダウンタウンという芸能人も。
総理大臣も大統領もスポーツもファッションも音楽も歴史も何もかも真っ白だ。
言った事もすぐに忘れてしまう。

もう一度履歴書を見てみる。
確かに国立大学を卒業してる。

「ウソだろ」
「イヤイヤ本当ですよ〜笑」
「絶対ウソだろ!笑」

とにかく仕事はヒドいもんだ。
全ての作業で必ず失敗する。
配送もダメ。お台場に行くはずが世田谷に行ってしまう。
事故って、積んであった家具も破損。

ミラクルの様な失敗の連続だ。

その度にニコニコして
「いや〜すみません。。。」

ブン殴りたくなる。


いつクビにしようか考えながら一年が経った。


また7月7日。
俺の誕生日。

「毎日迷惑かけちゃうんで辞めます。」エビちゃんの方から言ってきた。
願ったり叶ったりのはずだったが、自分でも信じられない言葉が出てきた。

「ダメだ。辞めさせねえ。俺もオマエも何の結果も出してねえ。」

頑固な彼の説得に深夜までかかった。

家に帰ると子供達が誕生日パーティーを企画してくれていたらしく部屋が折り紙やイラストで飾られていたが子供達はすでに寝ていた。

翌日。エビちゃんに缶コーヒーをおごらせた。


それから少しづつ仕事は覚えた。



6年間KOMAに努め、先月独立をした。



おっとり優しいエビちゃんは俺と若い衆の緩衝材の役割を果たしてくれた。

そして、いつものニコニコな様子だが、俺に物怖じせずに意見するヤツだった。
「全部、松岡さんが悪いんですよ〜笑」とよく言われた。



今、なぜあの時クビにしなかったのかを考える。

失敗したら怒られる。
だからみんな誤摩化したりウソをついたりしてしまう。
当然、俺にも経験はある。

人の十倍失敗したけどエビちゃんは絶対に誤摩化さなかった。
人の意見や情報に左右されない。
頑固は決して良い事ではないが、突き抜けていれば善し悪しを超越する。

他人は自分を映す鏡と言うが、自分が自分で嫌いな所が相手の中に見えた時、人は人を憎むのだと思う。
俺とエビちゃんはとにかく正反対。
似た所が全くない。
だから尊重できたのかもしれないし、一緒にいてただ楽だっただけかもしれない。


俺たちは水と油だ。
彼から教わった事は特にない。
俺が教えた事も特にない。
だけど信頼から芽生える友情に近い感情が生まれた様に思う。

そして、間違いなく今のKOMAを創った一人である。


頑張っても頑張らなくても、成功しても失敗しても何でも良いのだ。
彼は唯一無二のエビちゃんだからだ。

だからこれからも俺たちの関係は続くだろう。

どうであれ、手間は掛かるが俺のお気に入りの大好きなヤツだ。
きっと彼も同じ様に想ってくれていると思う。


今日、年末の大掃除をしていると、アイツの残していったガラクタが散々出てくる。

全て捨てるのだ。

どうせアイツは何も覚えていないのだから。笑



友情と言えば、それを遥かに超えた存在である亀井が浮かぶ。
今年の締めくくりは亀井について書こうと思う。

2015.12.21 / 武内 舞子

【武内 舞子】

マイちゃんと呼んでいる。

神様か仏様からの贈り物だと思っている。
今ではKOMAに無くてはならない存在である。
仕事内容、存在感共にそれほどのウエイトを担ってくれている。
どの男達よりも仕事をしている。



2012年。
最初に会ったのはどこだか忘れたがKOMAの展覧会に荻坊が連れてきた。
家具づくりの学校に通っていると言っていた。

23歳になろうとする今では超生意気で男だったらブン殴ってるが、
当時は19歳のかわいらしい女の子だった。



数ヶ月後、とんでもなく忙しい日々。
猫の手も借りたいとはこの事だ。


あの時のあの子を思い出した。


週一でもいいからバイトにこない?

で通ってくることになる。

バリバリの職人の男社会で修行した俺が運営するKOMAもまたバリバリだ。
女の子とどう接していいか分からない。
なんだか気を使うのも面倒だ。
仕事の上でも雑用係と俺の接点はほとんど無い。

そして数ヶ月。
忙しさには拍車がかかる。
週三でこれない?
週四でこれない?
週五で来れない?

なんとも都合の良い話だ。

そんな最中。
2014年7月。
ある日突然、彼女にとってチャンスが訪れる。
彼女の先輩にあたる若い衆がバックレたのだ。
その彼が担当していた仕事を彼女にダメモトでやらせてみた。

ん?え?マジ?超上手いじゃん!!!
最初の一本目から先輩達よりも上手い!!
そして速い!!

二本目、三本目と回を追うごとにドンドン上手くなる!!

生意気小僧の片鱗も現れた。
「これくらい出来て当たりまえじゃないっすか?」だって。。


聞けば家は大工の家系で小さな頃から作業場が遊び場だったそうだ。

木材への刃物の入れ方のセンスが違う。
手つき身のこなしに「理」がある。

全く気付いていなかった俺のダメ親方ぶりが露呈された。
お恥ずかしい。。

後で分かったが、ずっと密かに練習をしていたらしい。
変にアピールしてこないそこら辺も俺なんかよりずっと凛々しくて好きな所だ。

どの業界も同じだろうが一つ一つのチャンスをキチッとモノにしていく事が大切だ。
いつでも来い!と思えるまでの準備。
今がチャンス!と感じるセンサー。
必ず掴む!という気合い。

チャンスを掴んで駆け上がっていく人間の様は傍目に見ても面白い。



そこからはアッという間だ。
じゃあこれ出来る?
じゃあこれやってみ?
の繰り返し。

どこまでもついてくる。

未だ天井知らずだ。



最近では俺とスピードでハリあう事もある。

お客様にとっては関係ないが、職人にとってスピードは最重要と言っても良い。
もちろんクオリティーが最優先だが、同じ品質だったら早けりゃその方が良いに決まってる。

なぜなら、職人にとっては、どれだけ段取りよく効率良く仕事ができたか?ってことに繋がるからだ。
段取りと効率の良さはクオリティーに直結する。

止まる事無く、無駄なく、理にかなった動きで流れる様に作業出来ているときは、違う世界にブッとんでいるような感覚になる。
何も考えていない。
ただ目の前にあるコトだけ。
身体は俺のモノじゃなくなる。
そんな時はとんでもなく良い家具が創れる。

当然、ブッチギリで速くもある。

その為には準備も必要だ。
前夜から製作物の寸法や角度を頭に叩き込む。
作業工程を一から何度も何度もイメージする。
帰りの車の中、晩飯、風呂、何をやってる時もずっとだ。

そんで、歩き方の一歩までイメージ出来たらそのまま寝る。
すると大抵、夢の中でも考えられる。
意外と良いアイデアが出たりする時もある。
朝には髪の先まで集中できてる。
作業の直前まで確認をして、よーいドンだ。


だから、「速い」は職人にとって「どれだけこの仕事マジでヤッてますか?」ってことだ。



そして、会社を持続させる事において「仕事が速いヤツ」っていうのは「最高に仕事がデキるヤツ」だ。
なぜなら儲かるからだ。
俺たちはアーティストじゃない。
作ってなんぼの職人だ!


椅子一脚の極一部の仕上げだが、難易度の高い部分がある。
道具は刀、鉋とサンドペパーだ。

今までの若い衆の平均が60分前後。
俺がサラッとやって30分。

だから、「60分でいいけど、30分で出来たらホメてやるよ〜」

そしたら28分だった。

マジかよ?じゃあイッチョやってやろうか?!
で俺が22分。

そしたら18分を出してきた。


この野郎!
で俺が15分

彼女は18分を切れず。

もう一回、俺がダメ押しの13分で勝負ありだ。


でも、これに関しては、あと少しで抜かれるな〜と思う。。笑





今年、賞や海外展示などで大活躍だったKOMA初の量産モデルであるsim chairは彼女のおかげでうまれた椅子だ。

KOMAの椅子は量産と言えど職人技を多く盛り込む。
その為、量産型を維持継続は技術の維持継続とイコールだ。
今までは俺にしか出来なかった刀などで行う仕上げ作業は製産数に限りがある。
一人ではとても出来ない。

でもずっとやりたかった事の一つだ。
その目標が叶って、会社の可能性を大きく変えたと思う。


そのおかげで、若い衆一人一人の成長が会社全体に大きな影響を与える事を知った。
それも、俺だけでは絶対出来ないトンでもなく大きな影響だ。


こっちが本気で期待すれば、人はそれ以上で応える努力をしてくれるってことを教えてもらった。


親方から受け継いだ技術を繋げる子がやっと出てきた。

俺にとってマイちゃんは宝そのものである。


そんなマイちゃんに片思いを続けた男がいる。
最年長のエビちゃんだ。
最近独立をした。

2015.12.19 / 荻野 隆雄

【荻野 隆雄】

荻坊とよんでいる。

2008年。
ちょうど俺が30歳の頃。
25歳で始めたKOMAは(株)KOMAになった。
若い衆に対して今でもかなり厳しいが当時はそれの比ではない。

例えば、声が小さい時。
現在は「声が小せえ〜」
当時は「なに言ってっか聞こえねえんだよ!ブッ殺すぞ!」

例えば、遅刻しちゃったら。
現在は、昨日も遅かったしな〜でなにも言わない。
当時は、ヘタしたらクビだ。

そんな環境だから当然誰もついてこない。
あの頃いてくれた子たちには本当に申し訳ないと思うが、今でもみんな連絡をくれて繋がれている事に感謝している。

そんな時に入ってきたのが24歳の荻坊だ。
当然、例に漏れず半年程の付き合いだった。
「オマエはウチでやってくの無理じゃね?」
みたいなニュアンスだったと思う。

思い返してみると自己嫌悪に陥りそうになる。。
まだ若くて血の気が多すぎた。
過去には戻れないから今に活かす。
などと言い訳ばかりがうかんでしまう。。


その時、荻坊は「ゼッテエ諦めないっす!」と他の家具工房に移った。
「でもたまに遊びに来てイイっすか?」とも言ってくれた。
その宣言どおりちょくちょく顔を出してくれた。
おかげで関係は繋がった。
ありがたい。

2年が経った2010年。
「会社がヒマで今月休みなんすよ」と荻坊。
「だったらその間手伝ってくれよ〜」
で事件が起こる。

右手中指切断の大怪我だ。
「119番って何番だ!!?」
なんてパニクリながら救急車を呼んだ。



手術とリハビリを終え半年後、紆余曲折は割愛するが、
1年後に独立を前提でKOMAに戻ってくる事になる。

一緒に働くのは2度目だ。


売上や自身の製産スキルなど、独立を想定したトライは厳しいものだった。

荻坊にとって落ち込む結果になった。

そして、家具職人の道を諦めることになる。


そんな話し合いをして工場で2人、深夜までスケボーをして盛り上がった。

荻坊は地元である埼玉に戻り、「やっぱり木に携わりたい」と盆栽屋に就職する。



2度目も何も助けになることは出来なかった。





それから徐々に厳しすぎる環境ではなくなり、やっと人材が定着してきたか?などと思っていた。

2014年の7月、2年目の若い衆が突然バックレた。
今までにも数人いるが、古今東西よくいる若者のよくある姿で、少なからず存在する。
そういった相手には、身の丈以上の期待をしないでほどほどにが大切だ。ということを学んだ。


10月、入社1年半の若い衆が辞めた。
ヤル気もあって、ちょうど技術も伸びてきて、今後が凄く楽しみなヤツだったが、会社として彼の家族の信頼を得れなかった事に本当に申し訳ないと思っている。
自分よりも家族を選んだ彼を尊敬している。
役割、それに伴う給与、様々な基準やルールなどなどの明確化が必要だと分かった。

何れにせよ若い衆が続かない。
もうイヤでも反省するしかない。
自分に問題がある。

職人で残ったのは、俺、亀井、6年目だが半独立状態の海老沢、今は仕上げのエースとして活躍中だが当時は、まだまだの舞子の4人だけになった。


困った。仕事はあるけど人がいない。

この状況にただの素人はキツい。
会社との相性もある。。。

どうするか。。。




2014年11月のある深夜、荻坊に会いに行った。

群馬かどこかの駅前で、地べたに座り酒盛りをしながらスケーボーをした。

「助けてくれねえか?」を言いに行った。

「そこまで言われて断る理由は無いっすよ!」

戻ってきてくれた。
本当にありがたい。

荻坊と一緒に働くのはこれで3度目になる。

前の2度とも荻坊の助けになる事ができなかった。
そして3度目は、俺が助けてもらう事になった。



ギブアンドテイクになってねえ。



荻坊は職人としての成長を見せた。

特に「鉋」は急成長だった。
年内に俺に追いつくなんて言ってた。


そして何より、会社全体の事や若い衆の教育にも目を向けてくれた。


そして今、荻坊は営業に転向してくれた。
「KOMAってもったいないっすよ」
「KOMAに足りないのは営業力」
「もっといろんな人に知ってほしい」

また助けてもらう事になった。




気さくで明るい性根は人に可愛がられる。一つの結果が大きく彼を成長させるだろうと思う。

最近、俺からの身の丈以上の期待と要望に向き合い応える覚悟が見えてきたように思う。


そんな荻坊は俺にとって今、希望の光であり最も信頼出来る人間の一人だ。


そして何より、「黙って信じて待てば良い」と思える切っ掛けを創ってくれたように思う。
これは会社経営にとって大きな進歩だ。

スケボー スノボー サーフィンと公私ともに仲間なのである!

そしてこれからも助けてもらうのである!!笑

誰よりも人との繋がりを大切にする荻坊が紹介してくれたのが、今や椅子仕上げのエースとして活躍している武内舞子だった。

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